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水星逆行中に出会った本「神との対話」を実感した夕方の散歩

こんにちは、りあです。

前回のブログに書いた水星逆行の影響を受けた話の後日談ですが、無事、美容室に行ってきました!今度は本当にやりたかったカット+カラーで。しかも、日付を間違えていた美容師さん、「お詫びです・・」と、こっそりスペシャルトリートメントまでシャンプー中にしてくれました。なんと・・・。

さて、そんな神様の采配を受けたこの水星逆行期間に出会った本がありました。その本の紹介と体験について書き留めておきます。

元祖スピリチュアル本「神との対話」

実は、当初は別の本を購入しようとしていました。しかし、そのレビューの中に

「エイブラハムとニール・ドナルド・ウォルシュの本を読んだことがある人であれば、この本の内容で目新しい情報は一切ありません」

というレビューを見かけたんです。エイブラハムは2冊読んだことがありましたが、ニール・ドナルド・ウォルシュの本は知らなかったので調べてみて一番最初に出てきたのがこちらでした。スピリチュアル界隈ではかなり有名みたいですが知りませんでした(汗)初版は1990年代で、120万部も売れているベストセラーだそうです。

本は、出会うべくして出会うと思います。最初に買おうとしていた本のことはすっかり忘れてしまい、こちらを即ポチっていました(笑)

内容は、エイブラハムと本質的にかなり近いです。神が話しているというスタイルも似ています。エイブラハムの場合は、ヒックス夫妻を通して神が語りますが、ニール・ドナルド・ウォルシュの場合は、彼が書くことを通して直接神と対話しています。

私がこの本に出会った経緯:祖母の死

実は私は7年前、引き寄せを明確に意識して、自分にとっては大きかった夢を一度叶えたことがありました。そのときは、“この世の真実”を毎日発見し、鳥肌が立ったり涙を流したり、ドラマチックな毎日を過ごしていました。

しかし、その夢を叶えた先で燃え尽き症候群のような症状になってしまったんです。文字通り「魔法が解けた」かのように私からパワーがなくなったのを感じました。それから引き寄せの法則というものを思い出箱にしまい込んで、5年ほど過ごしてきました。

その間にも、今でも鮮明に思い出せる不思議な体験を何度かしました(「なんでりあにはそんな事がポンポン起こるの?」と、一番近くで見ている夫が不思議がっています)が、もう私にはパワーがなくなってしまった、と感じていたので深く向き合うこともなく流されるように生活していました。

そんな私が、また引き寄せを含めこの世の真実を自分の人生に呼び起こして、そして実際に使っていこうと思った転機は、2020年3月11日に訪れた祖母の死です。

日本の家族から前もって危篤の連絡を受けていたものの、コロナの状況で帰国できず、モヤモヤと過ごしていました。

死の直前、祖母が夢に出てきた

3月10日の晩、夢に祖母と、何故か姉が出てきました。祖母はゆっくりとお風呂に浸かっていました。気持ちよさそうに浸かっていました。そこへ、姉が湯船に入ろうとやってきました。しかし、姉はふと何かを考え、少し思案したと思ったら、湯船に入らずにふいっと去っていきました。そこで目が覚めました。その日の夕方、祖母が旅立ったと連絡を受けました。

後で、姉に「実は夢を見たんだけど」と打ち明けると、

「えー!私、つい1週間くらい前におばあちゃんになぜか電話しなきゃと思ったんだけど、やっぱりやめたってことがあったよ。」

とのこと。

私の夢は、それを映していたように思います(あのとき姉が湯船に入っていたら姉も祖母に連れて行かれてしまっていたということかもしれない‥とも思えるのでちょっと怖いですが)。

死の直後、祖母と同じ場所が痛んだ

また、祖母は最期、左脳がきかなくなって逝ったとのことですが、祖母が旅立ってから数日経った日、私は右半身に筋肉痛のような異常な重みを感じ、一晩苦しみました。不思議と怖くなく、「ああ、おばちゃんだな‥」とじわじわと感じるものがありました。

そんなような少し霊的な経験をいくつかしたのと、祖母はどこに行ったのかを考えるにつけ、7年前に自分がした意図的な創造の経験を思い出さずにはいられなかったのです。

そうして私はまた、戻ってきました。このようなブログを立ち上げたのもその試みのひとつです。私の引き寄せの体験を記して、その過程も明らかにしていこうと、思ったからです。

「神との対話」で印象的な2つのこと

長くなりましたが、そんな経緯で「神との対話」に行き着き、一通り読み終えました。今、最も印象に残っている内容は2つあります。

問えば、答えは即座に与えられる

ひとつは、目に映る、耳で聞こえる、体で感じるすべてが自分へのサイン・・・というかむしろ答えであること。以前の引き寄せ体験を通じて知ってはいましたが、やはり、これは間違いないようです。

神様に何かを問いかければ、次に見るニュース番組のキャスターが発している言葉の中に、次に見る車のナンバーに、公園の木の葉のゆらめきに、風に、答えが必ずあるということです。

“信頼”すれば、求め得ない

ふたつめは、求めるのならそれは求める状態が続くだけで絶対に手に入らないということ。これはよく言われることなので分かっている方も多いと思いますが、じゃあどうすればいいのか。

そこで、既に“ある”ことに感謝すれば求める行為はし得ないということだそうなのです。たしかに。

そして、その感謝が祈りである、ということ。この点についてはまだきちんと腑に落とせていないのですが、なんとなく今までの理解より進んだ気がします。

つまり、あることに感謝するということは、神様を信頼しているということになります。それこそが、引き寄せの作用点なのだということだと思います。

この世の動機は「愛」か「不安」のいずれかしかないから、それなら「愛」を選ぶ、選び続けるだけで目の前の景色は変わっていくと想像できます。

すでに毎日“引き寄せ”ていた

試しに、その2つを意識して夕方の散歩に行ってみました。今は特に何か神様に問いかけたい特定事項があるわけではなかったので、主にふたつめについて考えながら歩いているとき、セントラルパークの素晴らしい自然とアッパーイーストの高層マンションのコラボレーションの景色が目に入ってきました。

そういえば私は、自然の美しい景色の中にいるとき、とても心が安らかになります。幸せになります。正直、NYの生活は合っていないと思うけれど、セントラルパークの美しい景色には、素直に、感謝できます。人工の公園とはいえ、自然の息づかいが感じられる、いついってもダイナミックな場所だと感じます。

夫はほとんど毎日仕事で、あまり公園に来ることはないし、私と同世代の人も仕事があったり住んでいる場所が遠かったりして、せいぜい週末に訪れる人が多いと思うのですが、私はなぜかほぼ毎日この公園に来ることができているのが、ふと不思議になることがあります。なぜ自分にはこんなに時間があって余裕があるんだろうと、思うことがあります。なぜこんなに物価の高いNYで、何不自由なく生活できているんだろうと(夫に感謝なのですが・・・)少し不思議に思うことがあります。

それは、「夫のおかげで自分は会社員じゃないから」「専業主婦だから」とか、時には「忙しくなるほど努力していないから」と思うこともあります。でも、もしかしたら、こうして素直に、フラットに、感謝していることが、それ自体を引き寄せているからなのかもしれない、と、今日ほとんど初めて気が付きました。

“引き寄せ”に対する新たな疑問

とはいえ、公園の中を歩いていて、その公園の存在に感謝できることは誰にとっても難しくないですよね。じゃあ、目の前に無いもの、経験していないものを望むときは、どんなふうに“ある”ことに感謝すればよいのでしょうね?そんな疑問が残った夕方の散歩でした。